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〜洞口依子さんのドラマ出演25年について〜


洞口依子さんがはじめてTVに出演した『
女の人さし指』がオンエアされたのは、1986年1月8日のことです。
ドレミファ娘の血は騒ぐ』そして『タンポポ』と、前年公開の日本映画でも最もユニークな2つの作品に出演し、
一部で注目を集めた彼女がより幅広く多くの人たちの前に登場したのが、このドラマでした。
それから25年、多くの話題作、人気作に出演し続けてきた依子さんのTVドラマでのキャリアを特集してみたいと思います。


細かい進行はまだ考えていませんが、これは回顧的な記事ではありません。
私は、依子さんがデビュー時に『風少女』や『時にはいっしょに』などで見せた新鮮な印象を、今でもはっきりとおぼえています。
これからも忘れることはないでしょう。が、それはもういちばん重要なことではありません。
それよりも、現在の彼女がどんなに見る人の心を惑わし震わすか、そっちのほうに興味があります。
ですから、いまの依子さんを応援するために、過去を現在形で語りたいと思います。
年代順にはこだわらず、女優・洞口依子の25年ぶんの過去と現在を、いろんな番組から持ってきて編んでゆくベスト・アルバムです。
みなさんそれぞれの「イエスタデイ・アンド・トゥデイ」をお持ちでしょうが、私の持っているヴァージョンはこれです。

洞口日和 

(2011年3月26日)

6ch

 ドラマ『ディアフレンド』(1999)の中で、洞口依子さんは岡田准一さんの母親役として出演されています。
 思春期の息子の素行に手を焼きながら、その更正もどこか他人まかせで、子育てを半ば放棄しているところのある母親像でした。世間に対しては引け目があるのだけど、自分から子供と向き合って現状を変えようとしない。その弱さとズルさを、フワフワした生活感の乏しさで煙に巻くように演じていて佳いんです。
 同じ年、依子さんは『好き?−誰かを愛してますか−』というミヤギテレビ開局30周年記念のドラマでも母親役を演じています。こちらも『ディア・フレンド』に負けず劣らずダメなお母さんでして、小学生のひとり息子を(大して付き合いもない)昔のクラスメイトに押し付け、自分は恋人と温泉旅行にしけこむ。宿で息子とバッタリ出くわしても、シレッとしていて悪びれるそぶりも見せない。
 私はこうしたダメ親を演じる依子さんを見るたびに、こういう役柄が上手いなぁとファン度がいっそう上がります。いや、「上手い」なんて感想はおこがましいですね。楽しく拝見しております。

 近年は映画でも母親役で毎回異なる味わいを見せる依子さんですが、ドラマではもう少し早くから演じています。1999年の先述の2作、『私はやってない!』(2002)、『ビタミンF』(2002)、『ノースポイント』(2003)、『弁護士高見沢響子9』(2008)、『激恋』(2010)、『おみやさん』(2011)などなど、特に印象に残る作品を挙げていくと2000年前後から多くなっているようです。
 そして、こうした作品で演じたお母さん像は、どれも少しメンタルな面で落ち着かないと言いますか、やはりどこか精神面で弱い部分がうかがえるキャラクターです。とくに『ノースポイント』と『激恋』の2作では、あきらかに子供のほうがしっかりしていて、時には子の視線に母親を見守る温かさもあるほどです。
 ただし、『ノースポイント』や『おみやさん』のように、じつは人生経験に裏打ちされた懐の深さをさりげなく持っている母親、という意外性のある役もあり、その説得力は依子さんならではのものですね。

 キャリアと年齢を重ねるにつれて、誰かの子供の役から親の役へ。これは俳優にとって特に珍しいことではないでしょう。
 洞口依子さんの場合、どちらかというと親類縁者との関わりの薄い役が多いように思えますが、それでも『女の人差し指』(1986)の一家の末娘役でドラマデビューし、そこから数年間は、親や家族との関わりから無縁ではない娘の役を演じています。
 原作にない主人公の姉を演じた『ツヨシ、しっかりしなさい』(1989)、植木等さんとの共演で『後追い心中 桜の涙』(1990)、ズバリ母と娘の愛憎に迫った『雀色時』(1992)、家族のつながりが大きなテーマでもある『チンチン電車』(1993)。
 これら娘役での依子さんを見ていくと、興味深いことに思い当たります。どの娘も、しっかり者だったり、チャッカリしてたり、あるいは反抗的な性格だったりで、彼女が演じるお母さん役ほど弱い存在ではないのです。洞口依子さんは、作品の「家族」の枠内では、強い娘と弱い母が似合う。これはどういうことなのでしょう。

 私は洞口依子さんの名を広く一般に知らしめたあのドラマのことを思い出します。『愛という名のもとに』(1992)です。
 大学を卒業した仲の好い若者たちが社会に出て遭遇する挫折や哀歓を描いたこの作品で、依子さんの演じた則子は、主人公3人ほどの優等生でもドロップアウトでもない、ほんとうにごく普通の20代の女性です。将来に大志を持っているわけでもなく、また社会の裏を渡るほどの度胸もない。いつも誰かのそばにいて、彼らを応援し、彼らとともに泣き、笑います。そして、自分の意志で動くことをせず、決断が必要な時になると友達の言を待って、「お願いだから(あなたが)決めてよぉ」と泣いてすがります。
 則子は弱い。しかし、それがよかったのです。あのドラマでの洞口依子さんは、多くの視聴者が自分と重ね合わせることのできる則子のカッコ悪さを全身で表現していました。「将棋でいうとまるで歩のような」そんな平凡な人生が、その甘えや弱さを激しく演じる俳優によって、ダメだからこその輝きを放つ。カッコ悪さを焼き付けることのカッコよさを、彼女はこの作品で発揮したと言ってよいでしょう。
 
 洞口依子さんが演じる反抗的な娘や自分の事情を優先してしまう母親は、彼らが家族という人間同士の甘えに流されてしまうところに、その根っこがあるように思えてなりません。そして、この甘えのずるさを透明感のある曖昧さで、その人物の「ネガティヴな魅力」として定着させるところに、依子さんの抜きん出た「上手さ」(これはゼッタイ訂正しません)があるのだと思います。

 『弁護士高見沢響子9』で依子さんが演じる母親は、自身が夫殺しの容疑で逮捕され、子供の行方もわからず、家族の関係が失われ、自暴自棄に孤立して自分を不利な立場に追い込んでゆきます。刺々しくささくれ立った感情を爆発させながらも、市原悦子さんの弁護士役との接見を積み重ねるなかで、少しずつ頑なな心を開いていくのが見どころです。
 最終的に、彼女は弁護士に子供のようにすがり救いを求めることで、母としての自分も取り戻します。この作品は、依子さんの近年のサスペンスものでは特に見ごたえがあります。こんなふうに、洞口依子さんだからこそ表現できる人間像が、私はこれからもあると思っています。

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(2011/7/26) 母と娘という名のもとに


5ch

 洞口依子さんが作家の野上弥生子さん役で出演されている『百合子、ダスヴィダーニヤ』が上映中です。おもなロケ地となった静岡でまず公開、そして夏を境に各地でも公開されていくようですね。
 ところで、洞口依子さんが実在の人物を演じた作品は、他になにがあるでしょうか。
 映画だと『
およう』で夢二の妻の岸たまき役。テレビドラマでは、すぐに思い当たるのは『翔ぶがごとく』の楢崎龍。あと、なかなか思い当たりません。これは、依子さんくらいのキャリアの長い俳優には珍しいことかもしれませんね。

 いや、一つ、忘れがたい役がありました。『美空ひばり物語』で演じた田代久美子です。これを忘れてはいけない。
 この役は実在の人物なのですが、役名はあくまで仮のものです。なぜなら、彼女はある事件を起こし、身柄を確保された当時、未成年だったからです。
 昭和31年、浅草国際劇場の舞台に立ったひばりさんが、熱狂的なファンの少女から、顔などに塩酸をかけられた出来事ですね。芸能史にも残る事件で、私も親から伝え聞いたことがあります。
 この加害者の少女を演じたのが24歳の洞口依子さんです。

 1989年の『美空ひばり物語』は、その年の6月に亡くなられたひばりさんの追悼企画としては、最初に制作された伝記ドラマです。実在したスターや関係者が大小さまざまなエピソードに登場します。その中で、洞口依子さんの演じる田代久美子のエピソードは、市井の人物としては決して小さくないスペースを占めています。
 ひばりさんの側からすれば忌むべき出来事であるわけで、その後実際に加害者の少女との関係がどうであったかを私は知りません。常識的に考えれば、好転したとは思えないでしょう。
 ですが、このドラマでは、彼女の人物像を狂信的なファンという形容だけで切り捨てていません。むしろ彼女の心の動きを丁寧に綴って、そこに深い陰翳があります。彼女のエピソードは独立したやるせない後味をもたらしながら、そのやるせなさはドラマ全体にしみこんでいきます。 
 
 久美子は、東北から集団就職で上京し、住み込みの家政婦として生活しています。東京に向かう列車の中、級友たちと楽しげに夢を語り合う場面から彼女のエピソードが始まっており、これが一個の物語性を強く感じさせます。
 彼女の夢は、東京で憧れの美空ひばりに会うことです。賄いで宛てがわれた質素な部屋には雑誌から切り抜いたひばりの写真が貼ってあり、寒いお勝手口で洗い物をするときも、彼女は凍えた手を暖めるようにひばりの歌を口ずさみます。

 実在の人物とはいえ、彼女に関する資料が豊富だったとは思えません。制作時にはまだ往時を知る芸能関係者も多くいたはずですし、それが役作りのうえでヒントになったかもしれない。
 それでも、この人物像は洞口依子という俳優が表現することで成立したもの言えるほど、「洞口依子の田代久美子」になっています。
 いつも一人でいる女の子です。カップルや友人連れで賑わうひばりの映画へも、一人で見に行きます。とても寂しい少女なのですが、ひばりの写真を眺め、ひばりの歌をうたい、そしてひばりの映画を見るときのその表情は充足感があって暗くはありません。一人で出かけ、一人で帰る姿にも悲壮感は強調されません。淡々と、そういうもの、として表現している。
 孤独感を日常的に、そこに在るもの、として表現するこの感覚は、依子さんが見る人ひとりひとりの心に強く結びつく、とても大きな力であると私は思っています。
 孤独であるからこそ得られる喜びがあり、久美子のひばりへの思いには幸せが表れています。そしてその喜びが大きく、また幼いものであるがゆえの歪みもあって、それが彼女に事件を引き起こさせる。裕福ではない彼女のプロフィールもさりげなく示されていますが、依子さんが演じる田代久美子は、そうした環境や年齢などの条件を超え、「ひとり」である人間として、見る人の心にパーソナルに訴えかけるものがあります。


 依子さんはこのあと30代から40代に移るなかで、『女子刑務所東3号棟』や『甚内たま子』シリーズ、そしてかの『ジュテーム わたしはけもの』など、個人の美学とルールをしっかり持った女性を多く演じるようになります。そうした作品で見られる、群れをなさない佇まい、そして自信に満ちた視線の強さと、この『美空ひばり物語』での少女像。
 一見すると相反する像であるかのように見えますが、孤独を知らないところに孤高はないでしょう。洞口依子という俳優の中では同じところに根を持っていると思いますし、20代とは形を異にしても変わらない彼女独自の魅力がそういうところにもあります。ずっと見続けていきたい俳優ですね。
 

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(2011/6/22) 真っ赤な太陽はひとりぼっち


4ch

 
 さぁ、今回はコメディーのお話です。
 2010年に公開された映画『
テクニカラー』を観て、「洞口依子さんってコメディーもできる女優さんなんですね」との感想を持たれた人がいました。私も、チョビ髭をつけて場末の小屋でマジック・ショウを演じたり、怪優・吉岡睦雄さんと「求愛のダンス」を踊ったりする姿に新鮮な驚きをおぼえましたが、テレビでの依子さんはコメディーやバラエティなどへの出演も決して少なくありません。

 デビューしてすぐの1986年には、『
マンションの鍵貸します』で、ビリー・ワイルダーの『アパートの鍵貸します』でのシャーリー・マクレーンにあたる役を演じていますし、1989年の『ツヨシ、しっかりしなさい』では、原作には登場しないお姉さんの配役でした。
 これらはどちらかというと「コメディーの中のキャラクター」という位置でしたが、1990年には『
ウッチャンナンチャンのコンビニエンス物語』で、ウンナンの2人を振り回す女性の役で堂々笑いを引き起こしています。その後もバラエティ番組の中のコントであったり、『オトコの居場所』や『パパ・サヴァイバル』、樹木希林さんの『鬼ユリ校長』シリーズなどで、コミカルな役柄を演じる依子さんを見ることができます。前回語りました『炎立つ』での役にも、そのニュアンスはたぶんにあったと思います。
 これらのドラマでの洞口依子さんは、多くのファンが彼女のイメージとして持っているであろう物憂げな視線や倦怠感を放つ佇まいとは、対極にあるように映ります。しかし、これも前回の内容と重なるところではありますが、周囲のテンポからズレて、ときにハタ迷惑なくらいのマイペースで緩い笑いを生む依子さんにも、やはり「ストレンジャー」としての存在感の効果があると言えます。
 その笑いを、彼女の刃の別の面の輝きとして楽しむことができるのは、今のところ、TVでのドラマが多いようです。

 洞口依子さんはモンティ・パイソンやピーター・セラーズのファンでもあるし、ナンセンスやシュールな笑いは大好きなのでしょう。いやいや、そもそもビートルズがその2組の交差点であるわけでして、そのへんは話すと長くなるので省略しようと思ったんですが、ひとつだけ!
 ビートルズがファンクラブ用に毎年レコーディングして配布していたクリスマス・レコードというものがあります。これが歌と寸劇と笑いでいっぱいの、なかなかクレイジーな代物でして(例:
1967年版)、洞口依子さんやパイティティのユーモアのセンスにはこれと非常に近いものをおぼえます。
 とくに、説明されないと面白みが完全にわかりきらないのだけど、それをあえて説明しないところ。そのわからない部分を、パフォーマーの感性と表現力、その場のノリ(これがすごく重要)が作用する力、存在感の魅力で笑わせてしまうところ。そして、散りばめられたパロディーや引用、オマージュを裏打ちする、アートへの深い愛情。
 こんなことを言葉で解説するのはとても野暮なことなのですが、先述の『テクニカラー』にもそれは窺えると思うのです。

 依子さんとコメディーということで、今回は2つの作品を簡単に紹介したいと思います。
 ひとつは、『
さむらい探偵事件簿』。1996年に作られた時代劇です。
 私が子供の頃に渡哲也さんが主演した『浮浪雲』というハチャメチャな時代劇がありましたが、『さむらい探偵』もそれに負けてはいません。なにせ制作のコンセプトが松田優作さんの『探偵物語』を時代劇で、しかもコメディーで、ということなのです。『探偵物語』がハードボイルドのパロディー的要素があって、なおかつそれでハードボイルドを成立させた奇跡の作品だったわけで、しかもその村川透監督らが演出陣を固めています。
 『さむらい探偵』は日本には珍しく渇いたユーモアと八方破れなエネルギーに満ち溢れた逸品で、遊女のトキを演じる依子さんがいたるところで小気味よく弾けて、ドラマのムードを華やかに盛り上げてくれます。とにかく、踊るんです、跳ぶんです、走るんです。
 ストレンジャーということなら、ここまでストレンジな洞口依子はありません。しかし、なにも変ではない。
 ドラマ自体から、これまでにないもの、自分たちにしか作れないものを作ってやろうという熱い志と熟練の技と洒落のスピリットが軽やかに伝わってきて、見ていると、ストレンジャーであることの賛歌を共に歌っているような爽快な気分にすらなる。その爽快さと彼女の快活な笑顔が重なります。

 もうひとつ、これは2003年の2時間サスペンスで、『
殺意・日向夢子調停委員事件簿1』。
 これは何が面白いかというと、2時間サスペンスで2時間サスペンスのパロディーをやっているのです。それも全体の作りは、いたって通常仕様のミステリー。とくにコミカルな展開があるというわけではありません。おかしなキャラクターが出てくるのでもない。
 2時間サスペンスを見ていると思わずツッコミを入れたくなる要素、それをわずかにデフォルメ感覚にずらして演出してあります。毒の入ったグラスがシュワ〜ッと泡を立ててアップになったり、人物の回想と現在の場面がワンカットのカメラ・ワークで表現されたりする。
 洞口依子さんは、怪しいんだけど、怪しすぎて怪しい女を演じています。
 見事なのは彼女がピンチに遭う場面。『ダイヤルMを廻せ!』の引用だと思うんですが、苦悶の表情を浮かべながら、ローアングルのカメラに向かって床を這いつくばって来る。じつに千両であります。
 ほかにも、日常の感覚からずれてるんじゃないかと思える設定を、さらにずらしてあって、その呼吸と依子さんがピタリと合って、とっても楽しそうに演じている。だから見ているこちらも楽しいんです。

 次にこのくらいユニークなドラマが作られるとき、そこには洞口依子さんにいてほしいです。
 笑いと恐怖はじつは似ていると、ヒッチコックも言っていますし、サスペンスを呼ぶ人は笑いを連れてくることもできるのではないでしょうか。
 

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(2011/5/29) パロディアス・ヨーリー


3ch

 
 洞口依子さんのデビュー時期にあたる80年代後半は、テレビの2時間サスペンスが隆盛をきわめた時期でもありました。
 多くの作品に出演するなかで、キャリアとともに、事件に巻き込まれる薄幸の少女といった役どころから、犯人、容疑者、謎の人物など重要参考人度の高いキャラクターを演じるようになっていきます。
 もちろん、すべての作品で依子さんが犯人役であるはずもありません。2時間サスペンスのファンには、新聞のテレビ欄に彼女の名前を見つけると、自然と「今日は洞口依子は白か黒か?」とその段階から推理を始めてしまう人もいるそうです。

 洞口依子さんの「サスペンス劇場」出演歴は、1988年の『霊感を呼ぶ女たち』に始まります。
 同年代の若者の息遣いを瑞々しく感じさせた『風少女』などでの役柄とは肌合いの異なる世界ですが、憂愁と倦怠を湛えた彼女の強い個性は、ミステリーやサスペンス(の視聴者)が求める謎の女性像とも見事に合致しました。
 80年代にそれがもっとも成功した作品は、東陽一監督の手になるサスペンスドラマ『
からくり人形の女』(1989年)だと言っていいでしょう。
 
 『からくり人形の女』は、堤真一さん演じる青年が東京から知多半島にある実家に帰ってくるところから始まります。そこで彼の帰りを待っていたのは、見違えるほど美しく成長した義妹・水絵の姿です。2人の再会を機に、彼女の美しさは静かな町の人間関係を少しずつ蝕んでいきます。
 2人は過去にある事件を引き起こしており、まるで日のあたらない場所に匿われたままその事件の毒を養分に育った妖花のような、あやしい美しさが水絵にはあります。
 町の若衆が祭の山車を組み立てている場所に、「女だから神事には立ち入れない」でいる姿。その禁忌も、彼女の放つ魔性の力と結びつけてしまいそうになるほど。そのくらい、この作品での彼女は謎そのものです。
 洞口依子さんには、共同体からはみ出した人物、コミュニティの輪の外にいる人間を演じるとき、特に強く発揮される個性があります(思えば、『風少女』のときも、彼女には他人の平穏な日常を引っ掻き回すだけの危険性を持った倦怠がありました)。

 サスペンスから少しはなれて見てみます。やはり中島さんの脚本による『
炎立つ』(1993年)と『』(1995年)ではどうでしょうか。
 
 まず、『炎立つ』はNHKの大河ドラマ。歴史ものです。洞口依子さんの役は、全体のストーリーの骨子には大きくかかわらない侍女の柾(まさき)。
 この侍女は少し風変わりな女の子として描かれています。都から奥州藤原氏の館にやって来た娘で、常に本を手離しません。いまふうに言うと「空気が読めない」ところがあります。周囲も「さすが都のおなごは」という目でそのユニークさを受け止めており、悪い意味で浮いてはいないのだけど、ところどころで彼女の突拍子もない言動に戸惑う様子がうかがえます。
 『炎立つ』での依子さんは、侍女というよりヨーロッパ映画の小間使いのようなコケティッシュさを見せているのが特徴で、そのことはまた、別の共同体からやってきた柾の異質さをやんわりと印象づけます。この軽い異邦人感覚が『炎立つ』の依子さんを独特なものにしています。
 原作にはこのキャラクターは登場しないので、おそらく脚本の中島さん独自の創出かと想像します(そう断言できないくらい混み入った制作現場であったようです)が、そうだとしたら、中島さんが『からくり人形の女』で洞口依子さんの才能を気に入られてのことではなかったかと、これはまったく私の推測ですが、そうだったらいいなと思います。

 かわって、『蔵』での役は、芸者あがりで造り酒屋の後妻に入った女性です。
 前半では半玉らしい初々しいお座敷ぶりと飾らない笑顔で見ているこちらの心を和ませますが、これが後半、嫁いだ先で徹底して周囲から見下され、広い屋敷で四面楚歌のような状況になると、女性としてのエゴや嫉妬で家中をかきまわし自身も気を病んでゆきます。
 私としては前半の緩くもあたたかい味わいも良いと思いますが、壮絶なのは孤立してゆく後半の依子さんの演技でしょう。疎外感とその裏返しの執念が、家(それも旧家)という共同体に入れない人物の悲しさと怖さを表現して圧巻です。彼女の孤高の美がストーリーテリングにピタリと沿って伝わるという点でも随一だと思います。

 最後に、もうひとつの中島脚本作品、『
悪の仮面』という2時間サスペンスです。こちらは2001年、依子さんが36歳のときの出演。
 ある夫婦がまったく他人の姉妹と同居することになります。この姉妹が小柳ルミ子さんと洞口依子さん。
 主人公の夫婦は、この姉の夫を誤って死なせてしまったという負い目を持っています。妹のほうは車椅子の身で一人では生きてゆけない。だから姉妹が新生活を始めるまで、あれこれとめんどうを見るのですが、妹は夫婦に敵意むきだしの視線を向けて打ち解けようとはしません。
 この妹の役柄は、『からくり人形の女』以上にはっきりと、平穏な日常に入ってきた他者です。
 主人公夫婦から見れば、車椅子での生活を強いられているうえに経済的な基盤を失ったとなると、社会的に弱い立場にあります。彼らの感じる疚しさを倍加させる存在です。洞口依子さんは、(車椅子で動きを限定されながらも)そうした憐れみの視線を拒絶するような渇いた感覚でこの妹を演じています。さらにストーリーが進むにつれて、じつは姉にとっても異質な存在であったことが明らかになります。
 ときに彼女の表現するそれは、2時間サスペンスが流れているお茶の間にとって異質な何かであるかもしれません。視聴者の安心感に爪をたて、戸惑わせ、抗うかのように、彼女はとらえどころがなく不穏なのです。

 「今日の洞口依子は白か黒か?」、それはお茶の間という日常の外にいる彼女をめぐる謎なのかもしれません。抗う人は、お茶の間のテレビには謎に映るのです。
 

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(2011/5/3) アウトサイダー


2ch

 
 デパートの販売員、OL、ゴルフスクールのトレーナー秘書、教師、お手伝いさん、平安時代の読書好きの侍女、医師、遊女、記者、刑事、弁護士、国文学者、加賀友禅作家、囚人、保険会社調査員、日本舞踊の家元・・・これらは洞口依子さんが25年のドラマ出演キャリアで演じた役の職業の一部です。この中でも、たとえば『
金沢殺人事件』で織布に勤しむ依子さんを見ると、まさに俳優は自分とは別の人生を演じる、そのことを実感させられます。いやいや、『芸術家の食卓』のように、猫を演じる作品もあったくらいです!
 これらの役柄の大半は、謎めいた、いわゆるワケありの女性像で、職業もそうしたミステリアスな陰翳に結びつくケースが多いですね。

 2008年の4月10日からBSフジでオンエアされた『
ジュテーム〜わたしはけもの』での山藤純子役は、コールガールのエージェンシーを仕切る女性です。都会で独り生きる若い女性・由佳(芦名星)がある日街で彼女と出会い、これまでとまったく異なる仕事を持ちかけられるところから、物語は始まります。
 この山藤という人物についての細かいプロフィールは一切説明されません。彼女はいつも由佳の携帯電話に連絡を入れて、仕事の相手と場所を指示する。由佳はまだ駆け出しなので客とのコミュニケーションに戸惑うことも多く、その際は山藤が性をビジネスに働く者としての心得をアドバイスします。由佳にとって山藤の言葉は、仕事だけでなく、日常の人間関係での苦悩と向き合い一人生きてゆくためのヒントにもなります。
 この2人の関係がおもしろいのは、山藤純子は、由佳のプライバシーに直接立ち入ってこないことです。彼女のアドバイスにはひとつの職業世界を知り尽くした者としての重みと深さがありますが、山藤が伝授するのはあくまで仕事のノウハウです。彼女は電話の向こうで新人の由佳を案ずる表情を浮かべますが、それは由佳には見えません。由佳にとって路標のような存在の山藤は、(最後に由佳の身に危険が及ぶまでは)電話という距離を置いた接触でのみ登場します。

 『ジュテーム』では、洞口依子さんの出演場面の大半は受話器を持っての一人芝居となっています。
 由佳の住む質素なアパートの一室に比べて非日常的なほど生活感のない真っ白な部屋で、電話で語りかける彼女の姿をキャメラは前後左右、そして斜め上からショットを切り替えし積み重ねます。その静かな語り口には経験の蓄積に裏打ちされた確かさを感じさせ、艶笑的なユーモアを覗かせるときには、これまで彼女が幾度も演じてきたファム・ファタール像が、いたずらっぽさと凄みの両方をもって一閃に見えるようです。
 いっぽうで、彼女のまなざしは常に物憂げに曇っています。特に美しさと強さについて口にするとき、どこか哀しみを含んだようなトーンを帯びるのが印象的です。このアンビバレンツが彼女の周囲の空気を淡く翳らせています。
 山藤純子にどんな経緯があっていまのような仕事を担っているのかは明らかにされませんが、この依子さんの姿とそのイメージの積み重ねからにじむように伝わるのは、彼女が由佳のいま見ているものを知っているということです。だから由佳に見えない山藤の表情には、その弱さを受け止め慈しむ寛さがあります。そして洞口依子さんによって、山藤純子の寛さは、距離とプロフェッショナルの厳しさを併せ持った、芯のあるものとして表現されていると思います。

 このドラマを見始めたとき、私はてっきりこの山藤役は映画『勝手にしやがれ!!』シリーズでの
羽田由美子役をトレースさせるかと予想していました。裏の仕事を斡旋するミステリアスな女性という類似点もあるし、なによりあのシリーズでの洞口依子さんが彼女のキャリアでも1、2を争うくらいに好きだからです。
 しかしその予想はみごとにはずれました。『ジュテーム』での山藤純子には、あの頃とは異なった、現在の洞口依子であるからこそなせる魅力を強くおぼえます。彼女が年輪とキャリアを重ねて、ドラマで数多く演じてきた謎めいた女性像でも、いまこんな表現を見せているということを知ってもらえると嬉しいですね。

(ドラマ『ジュテーム わたしはけもの』はオンエア終了後に映画としても公開され、現在DVDで入手できるものはそちらの
映画版のほうです。しかし、それは短縮されていることもあって、こと山藤純子に関しては上記のような部分が伝わらないのが残念。全話収録された完全版のリリースを望みます。あるいは再放送の機会があればぜひそちらをご覧ください。別物です)
 

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(2011/4/10) ジュテーム


1ch

 
 映画『
ドレミファ娘の血は騒ぐ』で初めて洞口依子さんを知った私にとって、彼女はその時点から「映画女優」でした。今でも、基本的にはその思いを持ち続けています。
 これは、私がたまたま映画を媒介に出会ったからであって、先に『GORO』のグラビアで知っていた人にとっては、あの「激写」の女の子が映画に出たのか、という驚きがあったのかもしれませんね。その歴史のダイナミズムを味わえなかったのは悔しいなぁと思います。
 
 しかし、彼女を決定的に有名にしたのはTVドラマです。『
愛という名のもとに』、あの大ヒットドラマでの好演を境に、「洞口依子」の知名度は劇的に変わったと言っていいでしょう。そして数多くの2時間サスペンス、連続ドラマ、意欲的なコンセプトの単発ドラマ・・・私が作った出演作リストをさきほどながめていたら、映画・TV(バラエティなども含む)をあわせて260本以上もありました。その大半がドラマ作品です。しかもこれはいまだ不完全なリストでして、漏れている作品が、ことTV番組に関してはまだあるはずです。
 
 彼女の出演作の幅の広さは、私にとって、「洞口依子」という女優の魅力を言葉にすることの難しさでもあります。
 たとえばなんの気なしに楽しめる2時間サスペンスと、異才とさえ呼べる監督たちの映画、その2つの性格と集まる層の両方に向き合える言葉で明瞭に伝えられるかというと、私には自信がありません。彼女にはさらに文章と音楽という分野での活動もあり、それぞれの入り口によって見える「洞口依子」が異なっていることも考えられます。
 しかし、それこそが「洞口依子」の魅力であり、それが単にマルチな才能としてあるのではなく、彼女はゆるぎない一つの個性であるがゆえに多面的に映るのだと思います。傍から見ると曲がりくねった道を蛇行しているように見えて、じつは不器用なまでにてらいなく、まっすぐに歩んで行っている。そしてそれが逆説でもなんでもない、彼女にとってあるがままの姿だということが、ほかの誰にも真似できない「洞口依子」のあの佇まい、立ち居ふるまい、まなざしや表情にあらわれていると言えます。

 初っ端から言い切りすぎて後が続かなくなると困るので、このへんで1つの作品にふれていったん終わりとします。『
第一級殺人弁護(2)です。
 2003年に放送されたこの2時間サスペンスは、「被害者の妻と加害者の妻が争うビデオの秘密 法廷で暴く消しゴムのトリックは?」という副題がそのままストーリーを解説していて便利なのですが、ここで洞口依子さんが演じている英(はなぶさ)瑞江は最大の容疑者であり、悪女という形容がぴたりとあてはまる役どころです。
 彼女を追い詰める弁護士と法廷で対決する場面がクライマックスとなっています。犯人の利き腕が争点となっていく運びで、弁護士は彼女にあるトラップを仕掛けます。法廷に子供たちを10人ほど集めて彼女と並んで座らせ、紙に言葉を書き取らせてそれを消しゴムで消すという作業を何度も繰り返させるのです。
 普段はいかがわしい店を何軒も経営し、弁護士の追及にも臆するところのない瑞江ですが、意味の汲み取れないこの実験に苛立ち、やがて意外な証拠を露呈してしまいます。自分の意志をコントロールできずに見せる心のほころびを、ミステリーの筋運びとは別のところで、妖しい匂いを漂わせてたちこめさせます。彼女が理性を失ってゆくほどに、見ているこちらの感覚が予想外に攪拌されてゆくようです。
 この魅力を語るのは難しい。でもかけがえのない個性というほかありません。

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(2011/3/26) イレイザー・ハンド




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